「問い」熊谷
本やイベントから貰ったが、忘れかけているので、まとめたい。本来の意味から良いように曲解している可能性もあるため、留意願いたい。
壁にぶつかった時、いつも遭う言葉がある。
「我々は人生の意味を問うのではなく、人生に問われているのである」
フランクルさんの言葉だが、一番最初に出会った時から、その斬新なコペルニクス的転回に胸を打たれ、あまり意味が分からなかった。
今回の壁で出会っても分からなかった。
しかし、読書てらこやでの「読書をすることで、本から問われている」「自分の中に問いを立てる」や若松さんの14歳の教室の「人が問いそのものになる」「(マザーテレサを例に挙げて)行動の端々から『愛とは何か』を感じられる」「人が問いの化身になる」という言葉を貰ったことで、少しだけ霧が晴れた気がする。
つまり、人生や読書を通し、人は何かを感じ、問いを思い、その問いを原動力に行動を起こし、問いの化身として応え続けるということ。そのような意味では、今までの人生の壁もやりきれない過去も嫌な思い出も、結局は変えがたい財産なのだろう。受け入れがたいが。
何となく言語化をしたくなったが、言外に「ほんとう」はあるのだろう。今度は自分の考えを持てるように、問われ続けて行動していきたい
0コメント