質問1.仕事について

娯楽と「仕事」の境界線について質問です。常日頃から感じているのですが、娯楽と仕事の境界線はどこにあるのでしょうか?
例えば、レジャー施設を運営しているところは人を喜ばせるという点で「仕事」人の役に立っているのです。しかし、その人を喜ばせることが
人を堕落させ、人を考えないいきものにしているように感じてしまうのです。仕事の延長線上を行けば自らも娯楽としての怠惰を味わっているのですが、前提をわかっていれば大丈夫なのか?わかっていないから駄目なのか?
理会ができないのです。
そのために、どうすることが
「人」としての「商人道」であり「工人道」なのか納得できなく、未だ「人」のためにどうすればいいのかわかりません。どうか、娯楽と
「仕事」のについて皆様の応えをお聞かせください。



2月27日 追記

「仕事について」の質問がわかりにくく大変失礼いたしました。私が考えるのは「今」世間がいう「娯楽」という形は本当は人間に必要はないのではないか、この言い方には語弊があるかと感じます。しかし、「人」は「和」を考えることに生涯終始すべきであると私は考えています。そして、「調和」としての「笑い」、「遊びのような感覚」は必要不可欠であります。人生という点で単衣に人間に娯楽という悦楽、享楽、道楽は必要ではないと感じるのです。
「人」の姿は「そこには」なく「仕事」をすること事に仕えることこそが「人」の姿であると。しかし、「今」その「仕事」を突き進めば「娯楽」になっていることが多いように感じ、その「娯楽」により「人間」が「動物」に成り下がってしまっているとひしひしと感じてしまうのです。
そういった「想い」を抱えながらどのように「商人道」を貫き「工人道」を貫いていけばいいのかわからないのです。
僕は「人はこうしなければならぬ」という前提ではなく
「こうありたいと想い生きて生きたい」という前提です。

2コメント

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  • 初代失敗王

    2018.02.26 17:37

    世の中、全てが「娯楽」であり「仕事」なのだと思いますよ。 「娯楽」と「仕事」を分けてしまうと、何だかわからなくなってきますよね。 僕がいつも「仕事」にとて思っていることは、「仕事とは目の前にあることに全力を出し切り、打ち込むもの」と。 僕の中で、手を抜くことは、考えられない。常に全力、一生懸命。もちろんサボる時も全力ですよ(笑) 人に役に立つとか、世の中を良くしようとか、そういう志の高いものは、その仕事を創造した人の役目であって、その仕事を実行する人たちは、「全力でその仕事をこなすこと」しか出来ないですよね。 それがしいては、世の中の役に立ったりするわけで。 「娯楽」も手を抜いてする人っていないですよね。 この世の中は、如来が菩薩の格好をして娑婆に遊びに来ているらしいですから。 そんな難しいことは考えずに、目の前にあることに全力で取り組んでみましょうよ。
  • 孝一

    2018.02.26 03:26

    娯楽は、「楽しみ」が先に来て、後から「苦」が来るのではないでしょうか? 例えば、お金を使いすぎた、時間を使い過ぎた、期待したよりも楽しくなかったのように、後から「苦」が来ると思います。 仕事は、先に「苦」が来て、後から「楽しみ」が来るのではないでしょうか? 例えば、結果はどうであれ何かやりきった感、前より出来るようになった感のように後から「楽しみ」が来ると思います。 仕事も娯楽も、「苦」と「楽」は、ついてまわると思います。