TN「GW」

世間様はGWだと言うのに、水をさすようなことで
申し訳ないが、「快楽主義の哲学」という本に
下記のようなことが書かれている。

「死の克服と同じくらいむずかしいのが、退屈の克服です。とくに現代人はもう夢中になって、日々の退屈からのがれようと右往左往している。夏ともなれば、どっと繰り出して山や海に出かける。冬にはスキー。銀座や新宿は、年がら年中お祭りみたいな騒ぎ。よくまあ、これだけひまな人間がいるものだと感心するくらいです。中略

退屈は、一種の現代病だとも言えましょう。まえにもちょっと書いたように、資本主義の発達とともに、労働が細分化され、人間が機械の部分品のようになってくると、物をつくるという、労働に伴う素朴な喜びが失われてくるのは当然です。流れ作業の現場や、タイプライターの鳴りひびくオフィスのなかに、仕事の楽しみなんてあるはずがない。あるのは、灰色の退屈ばかりです。いきおい、現代人は血まなこになってレジャーを楽しもうということになる。」

退屈人=死人ということだ。
しかし、退屈できるのは人間だけの特権ともいえる。動物で退屈を自覚しているものはいないだろう。人間だけなのだ、退屈と死を自覚的に感じ取れるのは。

それなのに、退屈にあてるのは人から与えられた場である。うっかりジェットコースターに乗ってみたら、数時間も逆さまにされる。みんなが行くところに行けば、どこも混んでいて、時間を無為に垂れ流してしまうのがオチである。

退屈は、自らの手で克服するのが一番楽しいのではないか。
ゆえに仕事が楽しい。仕事と娯楽の境目が無くなるほど、人生はより充実するのだと、亡くなった爺ちゃんが言っていた。

GWで大移動する日本人は、芸能人の謝罪の涙をみて哀れみ、批評するほど劣化しているのではないだろうか。大勢で追っかけて、中々捕まらなかった、彼の野蛮性にたくましさと期待を感じる。

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