三宅 健太朗「教育を問う」

おはようございます。こんにちは。こんばんは。三宅です。

人は教え教えられる生き物と私は考えます。

先生と生徒という学校のようなのは、私は教育ではないと考えます、

逆もののように、本が先生というのも、私はおかしいと思います。

教育と少し違うかもしれんが、師弟や徒弟というのが、教育です。

教える方も教わる方も、痛みを覚悟するもの。

学校のような義務教育は教育ではありません。

蜘蛛の糸のように、ほそい糸をつなげていくのが教育です。

覚悟の量、、、教育は覚悟の量をあげないとできません。

田中角栄さんが、学校教育がなってないという問題が起こったとき、教員の給料をあげよと言った。

角栄さんの言は、私は合ってると思う。

私は知ってる人は知ってるが、ある人から、厚意、好意、行為、でいろいろ教えてもらっている。

私に返せるかどうかはわかりません。

が、なにがあってもかえす。という気概はもってます。

教えるひとも、まちがいを言ったら、まちがえですと言います。

それが信頼です。

一人一殺の気でやらなければできません。

義務教育については、私は否定的ではありません。

学校の先生は数学や漢字を教える人と私は考えてません。

教室の安定、維持、遂行、、、問題無く進める人です。

先生ではないと思います。教員でもありません。雇われ人です。

あと、教育というのは、一人の先生に一人の生徒です。

多数を教える?わたしには意味がわかりません。

一人に一人です。

ほんとうは、生徒が払うのは、カネやカラダでなく、未来の恩返しのはずです。

長々と描きました。


スライダー投手みやけ。



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