10月15日 月曜日 「ひとり起つ」



ふだんから
「和合していこう、一つになっていこう」
と声にしているが、
和合してはいけない、ひとり相対の対岸に立たなければならないときがある。
それは不義が全体を蝕み、多数大勢が声もあげることなく誤った流れに身を任せた瞬間だ。


ひとり起つ


何も巨悪に立ち向かえというのではない。
あなたの身近にも事なかれの秩序は溢れている。
秩序というがそれは秩序ではない、誤用であり自己保身である。誰かの不義を見つけても関わらぬよう見て見ぬ振りをし避けているだけだ。


でも、誰かが泣いている。


石牟礼道子さんが書かれた苦界浄土にこんな一説がある。
一九六九年、熊本において「水俣病を告発する会」が発足した。代表になっていただいた高校教師本田啓吉先生がおっしゃった言葉を今に忘れない。
「我々は一切のイデオロギーを抜きにして、ただ、義によって助太刀致します」(引用以上)



対岸にてたった一人、戦う人たちへ。



より強く、より鮮明に輝かなければならない。
相対の世界で、誰かが、どちらかを選ぶために。
陽の下に、白日の下に晒すために。

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