「幸福」名取仁志



私の好きな言葉に「人間万事塞翁が馬」というのがあります。

有名な言葉ですのでご存知の方も多いと思います。一応概要です。

ある村におじいさんが住んでいました。
そこで飼っていた馬がある日逃げたしてしまいます。

すると周りの人が「可哀想だね」と言うと、おじいさんは「このことで幸福が訪れるとも限らない」と。

暫くすると逃げたした馬は駿馬を連れて戻ってきました。

周りの人が「良かったですね」と言うと、おじいさんは「このことが禍(わざわい)になるとも限らない」と。

暫くすると、落馬した息子が足の骨を折ってしまいました。

周りの人が「可哀想ですね」と言うと、おじいさんは「このことが幸福が訪れるとも限らない」と。

暫くすると戦争が起き、村の男たちは出兵し、10人中9人が亡くなってしまいましたが、おじいさんの息子は足を骨折していたため、出兵を免除されたのでした。

こんな話です。

この話は、禍が幸福を呼び、幸福が禍を呼び起こすから、禍で過度に悲しんではいけないし、幸福で過度に喜んではいけない、何とも屁理屈なお話です。
禍の中に幸福があり、幸福の中に禍があるのでしょう。

しかし、もっと深読みをしますと、実は禍も幸福も、それを捉える人間の主観でしかないのではないかと思うのです。

言い換えれば、世の中全てのことが禍でもあり、また幸福でもあるということです。それを決めているのは他でもない自分自身なのだと。

どんなものでも幸福にすることが出来るのであれば、わざわざ幸福にする必要はないのではないか、なんて考えたりもします。

「幸福になりたい」と思っている人ほど、「自分は不幸だ」と認めていることになりはしないでしょうか。

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