佐古田「北海道 肚読 あれから」
ずーっと考えてました。
お師匠さんとお弟子さんの交わりにおいて、中心の核となる目的は何だろうって考えると、道を受け継ぐことだと思います。
肉体の親子なら血を受け継ぐ。そして師弟は道を受け継ぐんですよね。だからお弟子さんは
「ちょっとイメージ違うんで辞めます」なんて簡単に言えない(笑)タスキを引き受けたら良いことも悪いことも引き受けなきゃいけない。
〇〇先生の弟子です!なんて言葉は、ホントは畏れを感じなきゃいけないくらい、後戻り出来ない決意がいるんですよね。遊びだったらいいとは思うんですけどね。
道の精神とお師匠さんは
お師匠さんと呼ばれる人たちは、この時代の対岸に座って、「世の中がおかしくなって道から外れないように」見守る人たちという役割もあるのではないでしょうか。時代の転換期がどの世代にもあった。その瞬間の舵取りを、先代、自分、次世代という連続する時間の物差しを持ちつつ思考する、魂の一族なんですよね。決して自分だけ、今だけの視点には立たない。師匠は師匠としてだけ存在しない。必ず弟子という存在とセットで存在している、相続していくことを前提とした命なんですよね。
弟子は師匠の大きさを感じることはできない。
自分より大きな存在はわからないですから(笑)
それでも師匠と思い定め、一生をかけ付き従うのはもう直観という天の差配としか言いようがないのかもしれませんね。師匠が「弟子にしてやる」なんて言えないんですから。なんだか不思議なものです。
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