「始末」元川

人間は始めることより辞めることの方が難しい生物であるとつくづく思うのである。

難易度は
始める<続ける<辞める
の順番だろうか。

例えば結婚。

結婚するまでも紆余曲折あるが、その時はまだ勢いがある。結婚式という共通の目標もある。やり抜く理由がある。

しかし、いざ結婚すると、その気持ちを維持しようとするのは難しい。
そしてそれ以上に難しいのが、離婚するときだ。経験した人は分かると思うが、これがとてもパワーがいるのだ。

例えば運転免許証。

免許証を取るのはお金を払い教習所に通よば余程のことがなければ、免許取得出来る。

すると今度は自家用車を保有し、日々の生活の足として必要不可欠なもとのなる。当然維持費も掛かる。事故を起こす可能性もある。

そして、自分で運転する技術が衰えて来たときには免許を返上しなくてはならない。第二分水嶺を超えた「車」を手放すことは用意ではない。特に田舎では死活問題となる。

例を挙げれば切りがないが、僕はこの「始末」という言葉が好きなのだ。誰かが言った。

「人間は始末を付けるために生きている」と。
人生の最終目標が「死ぬこと」であれば、そこに向かって僕らは日々生きている。ただし、人間はいつ死ぬか分からない。今この瞬間に死ぬかもしれない。

そう思いながらも、いや、そんなことは忘れてしまいながら、生きている。

終わらすのはとても難しいのだ。
「人間は二度死ぬ」とよく言われる。

一度目は肉体的な死。二度目は皆から忘れ去られる記憶的な死。

いや待てよ、生きながら既に二度目の死を迎えているものも、あるのではないだろうか?

後世への手紙


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