「変化」元川

最近、

「ニワトリが先か、タマゴが先か?」

の永遠の問題に、僕の中でケリが着いてしまったのだ(笑)

この問題は、ニワトリが先に産まれたのか、それともタマゴが先に産まれたのかというもの。

例えば、日本人の平均身長。

現代は170センチ前後。
1950年代は160センチ前後。
この70年間に10センチも平均身長が伸びたというデータがある。

では、平均身長170センチの日本人は、どうやって産まれたのか?

それは70年の前の平均身長160センチの日本人から産まれたのだと言える。70年間、3~4世代で少しずつ変化をし、平均身長170センチの素地のある子供を産んだのではないだろうか。

変化しているのである。

ニワトリの話に戻せば、ニワトリでない鳥が、産まれてから途中でニワトリになったわけではなく、ニワトリでない鳥が、ニワトリになるタマゴを産んだことになると、僕は思うのだ。

変化してしまったのだ。突然変異という変化かもしれない。 

僕らも日々変化している。
色々な経験を積んだり、読書などで知識を増やしたり、様々な現象が降りかかってきたりと。

その変化は「何のため」にしているのだろうか。もしや自分自身のためにしてはいないだろうか。

僕たちの経験や想念は、後の世代、後世へ受け継がれるのである。阿頼耶識のことかもしれない。

今、どれだけの人が「後世のために」生きているのだろうか?どうもその考えが抜け落ちていると思わざるおえない。

パワハラや虐待、暴力、イジメ、老害など。特に幼児虐待の問題は、本当に大問題だと思う。

僕ら一人一人の意識を変えていかなければ、悪い方向へ変化してしまうかもしれない。その影響は、後の世代に出てきてしまう。悪い連鎖はここで断ち切らねば。

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