「飢え」佐古田

もっくんの問題提起を受け止め、考えてみると
私の目はどうしてもある問題に辿り着くんです。

「情緒の未成熟」という問題。

【情緒】という言葉を深くみんなと共有したい。
知性ではなく感情によって表現される、人間交流を通じて深まっていく、1つに向かうエネルギー。それが情緒だと私は捉えています。例えば愛や仁、共感などでしょうか。

これを知識で受け止めると間違える。情報で「愛という言葉」知っても意味はなく、
むしろ「知ったか」を生み出す害悪になる。耳で聞けば同じ音でも、真逆のエネルギーを持つからだ。知識は個々、細分化、理解と正しさ、分化のエネルギーになる。

戦後日本の社会は正しさに向かって爆進した。
車の両輪である情緒と知性が、知性という正しさ側
に偏り、この情緒の未成熟、感情交流の欠乏社会が心の貧困「飢える者」を生み出してしまう。

飢えるものの一つ目の苦悩は、
飢えから解放する良薬を欲しながらも、その良薬を自ら攻撃し破壊してしまう点にある。だから救いは訪れない。

母なるものへの愛着と憎しみから愛してくれるものを求めながらも遠ざけてしまう。
それでも、飢える者は欲する。
周りから優しさを奪い、時間を奪い、要求する。
孤独は深まり、他者への依存性、攻撃性は増していく。

万物が繋がり合うこの世界で
幼い頃からあたたかな感情を与えられることなく、奪われ続けた者たち。情緒は感情の交流によって成熟するのに、奪われた者は肉体だけが成長し、奪われた者同士が結びつき子供を産み、また子供から情緒を奪う。

無関係な子供を攻撃する通り魔、エリート大学出身官僚が子供を殺す、夫と一緒に子供を虐待をする母親、学校では集団で弱いものをいじめる。…あげればきりがない。様々な事件はマグマが表出した結果だ。表面の知性で捉えれば異常だ。おかしい。
しかし彼らは「せずにはいられない」。

二つ目の苦悩は、この飢えをあたたかな家庭に育った健常者には決して理解されないこと。

三つ目の苦悩は、飢えを癒すために必要な無限の愛を持ちつつ、振り回されない自我を確立した人はこの現代の日本に決して多くないこと。損をしても、傷付いても、社会のために時間を割いてくれる人がどれだけいるだろうか。

この国家の病は、当事者は勿論だけれど
国民一人一人が気付かなければ完治することはない。





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