「仕事をする意味」元川
昔の人は「ならぬものは、ならぬものです」の精神で、そんなこと考える余地もなかったのではないか。
現代ではそれをやるとパワハラになるのだそう。とかく現代人は、理由や意味を知りたがる。知らずに盲目的に仕事をしても、それはそれでいいと思うのだが。
何かの本のコペル君的発想をするのであれば、「目の前にある全ての物事は、一人では成り立たない」のである。全ての物は仕事をした人々の手によって成り立っている。
例えば「白米」。日本人なら食べたことがない人は(アレルギーや病気の人以外)いないのではないか。
ではその成り立ちを遡ってみる。
白米
茶碗
しゃもじ
炊飯器
水
米を研ぐ
精米
籾摺り
乾燥
脱穀
稲刈り
追肥(肥料)
中干し(落水)
基肥(肥料)
田植え
播種(種蒔き・育苗)
代掻き
入水
耕起
畔塗り
ざっとこんな感じの作業である。現代は機械化が進み、何をやるにも機械である。するとその機械を発明した人、その機械を製作した人、その機械を販売した人、その機械を運搬した人、その機械の材料を作った人など、様々な人々が携わっている。
そしてエネルギー(燃料)。トラクターは軽油。機械は電気。ガソリンなどももちろん使用する。その基である原油はどこからどうやってここに来て、燃料に精製しているのか。
白米を作るのに一番必要なのは、「水」。各圃場(田んぼ)には必ず水路がある。その水路から水を入れたり、また水を抜いたりする。その水路は誰が作ったのか?誰が作るのを指示したのか?僕らの地域では多分50年以上前から整備されていたと思われる。
と思いを巡らせれば巡らせるほど、色々な人々が関わっているのが容易に分かる。その人達は全てこれを「仕事」として行っている(た)のだ。
それが仕事。
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