「偽物」元川

現代は偽物が忌み嫌われる。

ブランド品のコピー商品などの、販売目的の所持は違法である。

高級腕時計などの偽物も出回っているようだ。僕が学生のときに手にしたことがあった。僕は本物自体を見たことがその当時なく、本物との違いはわからなかった。

何年かして本物の高級腕時計を手にしたが、偽物と本物の違いはあまりわからなかった。

どうも偽物にも偽物のランクがあるとのこと。ランクの高い物は本物と見分けが付きにくいのだという。

ただ、偽物は何年かして故障してしまったが。
偽物は、本物という本体があるからこそ、偽物の存在が確立するのである。まず本物ありき。本物が無ければ偽物は存在すら出来ないのである。

僕は時々、「僕自身が偽物ではないか」と思うことがある。

それと同時に、「では僕の本物はどこにいるのか」という疑問も涌いてくる。

偽物だと思う理由。言うことやることが中途半端であり、本心ではないように思えてくるからだ。こうやって毎日投稿しているのも、果たして本心でやっているのか?と。

偽物の僕だから出来る芸当なのではないかと。「偽物はよく語る」という。

しかし哲学的に言えば、「本物はそれだけで完全体であり、完璧な存在」であり、「偽物はどれだけ努力しても本物は近づけれど、本物にはなれない」のだ。

数学の放物線の様に、どこまで行っても、X(偽物)とY(本物)が交わることがない。

ただ、偽物は本物になろうとして、また目標に向かって努力しているのである。本物にはなれないが、本物になろうとしている。

偽物は本物にはない「何か」があるのではないか。不完全体であるからこそ、いつ壊れてもおかしくないからこそ、努力するのだろう。

僕は本物より、偽物になりたがっているだけかもしれない。

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