「存在」元川
この世の中の全ての物には名前が付いている。名前のないものは多分存在していない。
もし名前の付いていない物が存在しているのならば、それはあなたが第一発見者であり、名付け親になれるチャンスでもある。
特に天体の世界はそういう仕組みなのではないか。
と言うことは、「存在=名前」という等式が成り立つ。
普通の人が名前を付ける行為の機会は限られる。子供が産まれたときか、ペットを飼ったときぐらいか。あとは何か物を自作したとき。
以外に少ないのだ。
あとは創作物に題名を付ける行為。作家や芸術家、作詞家、作曲家などは仕事として名付けることはあるだろう。
この名前。名付け親は、その意味・由来を一生懸命考える。
特に子供の名前を考えるときは余程悩む。何せ、その名前は一生のうちに何千回と呼ばれる訳である。その人の人生に影響を与えることは容易に想像出来る。
そして、その名前は、この世の中に存在している証しにもなるからだ。
ところで、僕は知らないことが多い。世の中全ての物は名前があるはずなのに、目の前にあるものが、どんな名前なのか分からない。
そして、名前を知らないものは、僕の中で存在していないことになってしまう。「名前を知らない=非存在」という等式になる。
いや、名前は知らなくても、その何かは分かっている場合もあるか。そうすると、名前ではなく、僕自身が感知できないもの、今までの人生で全く関わりのないものは、存在していないことになるか。
いや、人生の中で関わったことがあるにも拘わらず、忘れてしまったものも、存在していない物になるのだろう。
世の中から忘れ去られてしまった存在。世の中の人からは非存在。寂しいものである。
「後世への手紙」はどのような存在なのだろうか。
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