「誕生」元川
僕は自分で運が良い方だと思っている。
そのひとつに、僕は幸運にも子供を二人授かっている。まぁ、今は事情があり、一緒には暮らしてはいないが。
子供が産まれた当時は、超ブラックの職場にいたため、子供が産まれようが何だろうが、休むことは許されなかった。
しかし、僕は子供の二人とも出産に立ち会うことが出来た。そう、二人とも夜中に産まれてくれたのだ。
産まれた瞬間は、本当に感動した。これで僕に、父親になったのだという実感と責任が生れた。
母親も本当によく頑張ってくれた。感謝している。そして、こんな僕に子供の名前を名付ける権利を与えてくれた。
「あなたは出産で何もしないんだから、名前くらい付けなさい」という彼女からの計らいだった。だから僕は二人の子供に名前を付けた。
相当考えた。二人とも「花」に因んだ名前を付けた。幸せな人生を送ってくれるようと願いを込めて。
ここで言う「幸せ」は、何もかも上手く行く、何不自由ない生活を送ることではない。十何年前の僕は、「苦労や挫折も味わいながら、それでも精一杯生きてほしい」という願いだった。だから「花」なのだ。
「花」は、手抜きをしない。いつでも精一杯生きている。そして頼みもしないのに綺麗な花を咲かせ、周りの人を笑顔にさせる。気付いたらそこにいるのが「花」なのだと思っている。
産まれた瞬間に立ち会ったことで、より強く責任を思う。
実は、「後世への手紙」の誕生の瞬間を、僕は幸運にも立ち会ってしまったのだ。
あれは確か二次会か三次会の中華料理屋だったか。誰かが「逆もの新聞を作ってはどうか」といい、佐古田さんが「サイトでこういうの作れますよ」という流れだった。
誕生した瞬間に立ち合う。
だから僕は拘ってしまっているのかもしれない。
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