「経験」元川



東尋坊は自殺の名所。

北陸や東海地方の人なら、観光で行ったことがあるのではないか。という僕は子供のときに家族で行ったことを思い出した。

とうせん坊がいた場所は、確か柵がしてあってそこまで行けなかったと記憶している。しかし今でも自殺の名所なのだという。もしや、とうせん坊の怒りのパワーのせいか。

佐古田さんが挙げてくださった2つの動画。どちらも観音様が願いを叶えてくれる。しかし結果は真逆。どうしてそうなってしまったのだろう。

とても考えさせられる動画だった。

賢者は歴史に学び、愚者は経験から学ぶ。

本当の意味は
愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む。

というものだそうだ。
他者の経験を血肉にし、自分の人生に生かす。そのために過去の事例「歴史」が必要になるのだろう。

しかし「歴史」は真実ではない。真実に近いが、イコールではないと僕は思っている。

何故ならば、歴史は必ず文章で扱われるからだ。文章にした時点でそれは真実ではなくなる。だから物書きの人はすごいのだ。

どこまで追求しても、真実に近づけるが、真実にならないものを、いかに究極に真実に近づけることが出来るのか。その一点に命を削っている。

だからその「歴史」は読む価値があるのだと思う。縦糸の読書。

そしてその「歴史」を踏まえて、僕らは経験(行動)していかなくてはならない。

そして後世にその「経験」を「歴史」として繋いでいく義務があるのではないか。先達が命を削って行ってきたように。

知識だけを得て満足していてはいけないのだ。それを行動に移していかなければ。「体育会系読書」。

そう思うと僕は愚者なのかもしれない。同じ失敗を繰り返す愚者。

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