「逃避」元川




時には逃げることも必要だと思うのだけれど、それでも僕は都合よく逃げている。

「人間は越えられない苦難はない」とよく言われる。それは乗り越えた人の言葉なのだ。

僕もそれには同感する。何故ならば、もしその苦難を乗り越えられないときは、人生が終わるときだからだ。

もしその苦難に直面して、今でも生きているのであれば、それは乗り越えたのと同じなのだと思う。

乗り越えたのか、それとも回り道をしたのか、壁の下に穴を掘って抜けたのか、壁にはしごをかけたのか、誰かに肩車してもらったのか、そもそも壁に背を向けて遠ざかったのか。

一番良くないのは、その壁の前にずっと立ち止まっていることだろう。

昔、会社の上司から「悩むより考えろ」と言われて、その当時、若かった僕はとても悩んだ覚えがある。悩むなと言われているのに(笑)

「悩む」と「考える」は一緒ではないのか?と。

しかし、今なら分かる気がする。悩むはその場で立ち止まっている感じ。考えるは、どちらかの方向に一歩踏み出している感じ。

と僕は解釈している。

その考える第一歩に「逃避」も含まれるのだろう。僕の若い時は、逃げるなんてもっての他!と思っていた。しかし、段々年を取るにつれ、逃げることの大切さも感じてきた。

見ず知らずの分からない道を突き進むより、それよりも来た道を戻って、知っている道まで戻ることも、時には大事。いや、人生それで何とかやっていける。

そして、戻って終わりではない。迷いながらも進んだ道、そして悔しながら戻ってきた道を、経験値として戻ったところから再出発すればいいのだ。

そうは分かっていても、再出発する勇気は中々持てない。

僕は過去の出来事に蓋をして、極力無かったことにしたいだけなのだ。いつかは開けなくてはいけない扉。

「その扉を開けるのは、ギリギリまで待とう」と弱気な僕が囁き続ける。

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