「逆転」元川



僕の好きな文章にこういうのがある。

晦(かい)に処(お)る者は能(よ)く顕(けん)を見、顕に拠(よ)る者は晦を見ず。
(言志四録)

<訳文>
暗い所にいる者は、明るい所をよく見ることが出来るが、明るい所にいる者は、暗い所を見ることが出来ない。
これは、その地位の上下の者にもあてはまる。

これは地位にだけに当てはまるものではないと思うが、どうだろうか。

「光」と「闇」。どちらか一方だけ知っていても駄目なのだ。両極を知っていないと。とかく現代は「光」の方だけ重宝がられ、「闇」の方は嫌われがちである。

しかしこの文章を基に考えれば、光が射している所からは闇の場所が見えない訳であり、逆に闇の場所からは光が射している場所もよく見える。

どちらがいいという話ではないが、「闇」の方にこそ何か重要さがあるのではないか。

「闇」を突き進んでいくと、いずれ光の射す所に出る。

僕は過去の大変な経験を背負って生きている人に「闇」を感じる。その「闇」を背負いながらも、それでも懸命に「光」のように生きている。

そういう人に感動し、尊敬し、憧れる。人間味に深みが出ると感じる。

「闇」を突き詰めていくと「光」に転ずる。太極図のようにクルッと逆転するのである。

そしてそれは「光」を追い求めていると逆転し、また「闇」に落ちるのだろう。

「闇」に落ちた人が「光」の場所に戻って来たのであれば、再び「闇」落ちても「光」に戻ってくるスピードは早い。経験しているからだろうか。

両極は、実は繋がっていると僕は想像する。どうも宇宙の端も、反対側の端と繋がっているのではないかと、提唱している学者もいる。

「闇」をとことん突き詰めて行くことこそが、人間味を深める要素かもしれない。

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