「ありがとう」熊谷

この言葉から全てが始まったのだと思いたい。
少なくとも自分の、本との人生はこの言葉から始まった。

日々何かが擦り切れている日常で、「ありがとう」という言葉が使い込まれ、擦り切れているように感じたのが、ちょうど5年前の初夏だ。

その思いを胸にしまいつつ、ふらりと立ち寄った本屋で、見知らぬ店員さんにポツリと胸の内を話した。

今でも覚えている。始まりの日。
在りし日の思い出はともかくとして、「ありがとう」は漢字にすると「有難う」が思い出される。
これはよく見る漢字で「有るのが難しい」が故の感謝であるはずだが、使い込まれるのはいささかおかしい気がする。

もう一つ違う漢字があるらしい。
「在り難う」だ。「存在が難しい」「存在し難い」
何故考えつかなかったのか。

言う時にこの漢字を当てるだけで、どことなく大切に扱えそうな気がする。
5年前思った擦り切れた「ありがとう」は、果たして各人の心の中で漢字を当てないと大切に使われないのだろうか。
あと何回「在り難う」は使えるのだろうか。

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