「演じる」熊谷



「人生の主人公は、君だ」
何処かで見た、使い古された文章である。

どのような文でも然りだが、自分の気持ちを押し込んで生きる人々にとっては毒にも薬にもなる。
とはいえ、ここで個性の尊重と理性の脆弱化がつながるかもしれないという突拍子の無い話をしたいわけではない。

人生はよく台本の無い劇に例えられる。
随分リアリティのある劇だ。
無限に広がる舞台。多種多様な登場人物達。
監督は誰になるのだろうか。神か、いや主を起こした自分かもしれない。
この想像の続きは今後またしよう。

当然登場人物の役柄は変わり続ける。
職業、地位、役職は勿論のこと、
他人からの言動(◯◯さんは△△だ)や視線、認識によってそれに似合った役柄に移り変わる。
「役職が人を作る」とはよく言ったものだと思う。

古代ギリシャでは劇でつけた仮面をpersonaと呼んでいた。今は派生して人格の意味になっている。
人は日々演じているのだ。仮面を被って。
もしかしたら、この休んでいる自分も演じている最中なのか。自分とは何なのだろうか。

演じた自分はいつか本物の自分に上書きされる。
容易に仮面が取れなくなる。違和感が、無くなる。
それは単なる画一化への一歩にしかならないのだろうか。
もし「そうだ」と頷き、思考停止に陥る前に
演じる前の自分を、純粋無垢で心が積極的だった自分を思い出す必要がある。
仮面の下で鳴りを潜めている自分を起こすのだ。

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