「死後」元川

死んだ後のことを考える。この世に生きている人は、誰も死後のことは分からない。

死んだら分かる訳だが、死んだら生きている人にどうだったか伝えられない。

いつかは来る「死」。それは最後の楽しみに取っておきたい。僕は食べ物でも好きなものは最後に食べる派だ。

その間に、嫌いなものを食べる。食べている間にも、好きな食べ物のことを考える。すると、嫌いな食べ物を食べてるときも楽しくなってくる。

まぁ、僕には嫌いな食べ物はないけど。

先に好きな食べ物を食べる派の人もいるだろう。早く食べないと誰かに食べられてしまうからと。確かに食べ損ねてしまうかもしれない。

ただ、僕は好きな食べ物を食べるという結果を得たい訳ではない。「好きな食べ物のことを考えている時間」が好きなのだ。だから食べ損ねても仕方がないと思うだけ。

僕はどちらかと言うと、結果よりも過程を重視する。

武士道でも「まず始めに死んでおく」という考え方がある。主君のために、命を預けることだと思うのだが、いつかは主君のために死ねれば本望と。そう思いながら主君のために生きる。

やはり過程が重要。結果は一瞬だが、過程は結果が出るまで続く。

仕事でもスポーツでも、結果を出すために努力するが、結果は二の次。その過程が大事となってくる。

だから僕には「手を抜く」という考えはない。いつでも全力。

この全力。僕の解釈では皆と少し違う。僕はサボるときは全力でサボる。闇落ちするときも全力で闇落ちする。

全ての行動・選択が結果に向かっていればいいのである。ここでサボった方が、後のパフォーマンスが上がると思えばサボる。逆にそのサボりが、ただ単に時間の無駄であれば、サボらない。

「死」という結果に向かって、今は何をするべきか?そろそろ闇落ちかな?

0コメント

  • 1000 / 1000