「奥を探る」熊谷
懊悩する。
筆が進まない。
面白いくらい早く壁にぶつかった。
それでも書かなければならない。
懊悩を分解すると、心の奥を心と頭で考えるとなる。
心と頭で考えるとはどういうことだろう。
確かに悩むとは、同じところをぐるぐる行ったり来たり、回ったりすることであり、遠心力で次第に大きくなるものだ。
ということは、だ。心と頭を行ったり来たりするから、不安というものが生まれるのではないだろうか。
感情で考えた時点でそれは悩みになるということかもしれない。
心の奥とはどこか。
心の形は自由だすれば、奥を表現するためにここではタンスをイメージする。
空のタンスならば、奥は探りやすい。
探ったその先に整理し忘れた「何か」がある。
だが中身が入っているならば、話は別だ。
奥だと錯覚している可能性が高い。
そもそも心を心で考えるとは何事なのだろう。
また懊悩が続く。
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