「遺品整理」佐古田

他界した故人の家財道具を、遺族が業者にお願いし片付けてもらう「遺品整理」が人気らしい。

大切な人が他界すれば遺族は住まいや家財道具を片付けなければならない。ダンボールに様々なモノを詰め、故人への感情が思い起こされつつも、使っていたコップ1つ、アルバム一つ片付けるのも躊躇、処分するのに勇気が必要なのだ。
TVを見ながら確かにな〜と共感する。

何でも捨ててしまうのは忍びないし、亡き人との思い出をゴミ箱に捨てるのは、何だか違う気がして抵抗もある。

人はどんな時、思い出の品々を「もういいかな」と処分できるのだろう。

「モノ」はただの「もの」ではない。
一緒に過ごした、時間や思い出、苦労と一体化し、
心を表す象徴として光を放っている。
「あんなこと、こんなこと、あったでしょう。」
捨てられないのは、ものではなく感情なんだと私は感じる。

良い思い出も、辛かったことも、未解決のまま放置していた心を呼び起こす。心の掃除と部屋の掃除はつながっている。
これは社会問題にもなっているゴミ屋敷や孤独死もなにか通じる感情があると思うのだ。

「ものと一体化した感情を乗り越えられた時、ものはただのモノとして、感情は感情として切り離して処分できる」そんなことを考えながら、自分の心を振り返る。


遺品整理業者は集めた遺品を海外に持っていくらしい。日本の家財道具がフィリピンに輸出され人気なのだ。日本の遺品は大変品質が高く現地で高値で落札される。

フランス人のアンティーク家具を日本人が喜ぶように、フィリピンで日本の桐のタンスが第二の人生を永く過ごせるなら、それも家具にとっては幸せかもなと感じた。


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