「外国人観光客」佐古田
日本らしさとはなんだろう。
私の仕事場である岐阜県中津川市が
DEEP JAPAN スポットとして外国人観光客に人気だ。
岐阜県中津川市にある落合宿。外国人観光客向けの観光ガイドブックを作成するためオーストラリアから来日した外国人青年に話を聞くことが出来た。
とても流暢な日本語を話す彼は笑顔が素敵で、感情豊かに日本のことを語ってくれる。
「旅や日本が好きで、外国人向け旅行ガイドの仕事をしています。」
いかにも好青年らしい、動機も行動もまっすぐな言葉が清々しい。日本に来た印象を尋ねると、
「岐阜県の街並みは大変美しい。でも日本の人たちはどこか、元気がないし、いつも辛そうな人が多いんだ」と申し訳無さそうに話をしてくれた。
率直に、素直に心の内を話してくれる態度は、我々は忘れてはいないだろうか。
勝手なイメージかもしれないが、彼らは自分の感情をとても大切にする。本能衝動を優先する国民性。それに対して世間や周囲の感情、現実適応を優先する日本の国民性の違いだろうか。むしろ感情豊かに語る彼らにこそ「粋さ」を感じる。
外国人の彼の話を聞いていても、日本人の「粋さ」が失われつつあると感じた。
彼らが日本の旅先で感じる丁寧ではあるが、心は何処にあるの?と聞きたくなるようなサービス。挨拶も何処か機械的であたたかな視線も交わすことはない。
今に始まったことでもないが、日本の合理主義的な社会はもう、感情との均衡を崩しているのでは?と感じている。
現実適応「ねばならない」はたしかに大切。でも、心の成熟とのバランスが必要だ。
でないと、いつか必ず苦しくなる。
感情が成熟していなければ、粋にカッコよく、誰かのために損を引き受けるなんて出来ないし、好きか嫌いか、損か得かの安易な二元論に陥ってしまう。
豊かな時間、自然、感性に支えられた日本的感情を取り戻したい。
そんなことを考えました。
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