「自分の哲学で」佐古田




哲学を「センス」と読み替えてもいいとある人は語る。見ている世界を面白く受け取るのも、つまらなく受け取るのもセンス次第だと。

何処からか拝借した言葉でセンスを偽装するのも可能だけど、世界をどう認識するかのセンサーを磨くのが哲学の入り口でもあるから、借り物の言葉には意味はない。

センスは自分自身の感覚でしかないし、五感だ。私が好むモノには、作り手の五感を通した「らしさ」があり、肌触りがある。

いい文章にも、この「肌触り」がある。
そんな文章に憧れるのだ。

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