「当事者ホテル」佐古田
衝撃のニュースだ。あの馴染み深い名古屋のホテル運営会社が破産⼿続をしたらしい。
なんてこった。おい、冗談だろとホームページを見ると閉鎖のコメントがホントに掲載されている。
ホテル業はコロナ騒ぎで最も深刻な被害を受けている業態の一つ。仲間との馬鹿騒ぎ…もといサイコーな飲み会の後に泊まった記憶があるだけに、思い出と一緒に閉店するようでちょっと悲しい。
衝撃のニュース…という言葉はいささか盛ったが、コロナの実社会に与える衝撃は盛られてはいない。今、街から馴染みの商店が消えていく。
コロナ以前からも、今まで何かが消える、関係が壊れるとき「自分の言葉で考える当事者」だったろうか、と質問してみたい。
それは事実の接点があったかという物理的接触の意味ではなく、抜き差しならない感情の当事者だったかどうかだ。
きっとあの時も傍観者だったんじゃないのか。
都合の良い世界観で現実を曲げて解釈し、向き合うことなくやり過ごしてきた幼稚さは、視点が一つしかなく平面的で、その世界には他者が存在しない。
社会が壊れていくのを喜ぶとしたら、今まで世界と敵対していたんじゃないのか。現実と向き合った経験のある当事者は痛みを知っている。
世界は別の誰かにとって大切な場所かもしれないと少しは想像できたら、でかい声で「新時代が来る」とか叫ぶ人にはならなくて済む。
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