「論じる前に学ぶ」コペル
先日、久米宏さんの「久米宏 ラジオなんですけど」という番組が急遽終了になると話題になった。歯に衣着せず政権批判を行うのを売りにしている番組のようだ。自分もこの機会に初めて聞いてみて、そもそも久米宏さんが余り好きでは無かったが、文句屋としては優秀なのかなという感想を抱くに至った。
政治批判というものはそもそも難しい。歴史、政治、経済、医療、福祉、防衛、教育など、多岐にわたる分野の素養と視座を養った上で、現状から妥当な判断を下す。政治家しか知らないであろうアメリカとの密約、各国との水面下の攻防、霞ヶ関とのパワーバランス、経済界の利権としがらみなど論理的な妥当性の前に立ちはだかる雑音が多いだろう事は想像に難くない。自分が物心ついたときに既にテレビは、日本の政治家にはロクなのが居ないと報じていた。前述のラジオでも同じようなことを言っていた。10年以上、もしくはそれよりもっと昔から、ずっとまともな政治家が存在せず、今後もその気配が無い。由々しき事態である。
先に述べた多様なテーマから現状を分析して批判するには義務教育では到底足りない。さらなる勉強が必要である。政治を褒める・文句を言う、立場を固定してのポジショントークには何の生産性も無い。しかし政治を監視するための勉強などは正直面倒くさい。ただ、この面倒くささこそが、民主主義を選択した国民の義務なのである。この面倒くささに耐えられなければ、全体主義が口を開いて待っている。
政治における一人庶民革命とは、各々が視座を養い周囲を教育していくことで、「まともな政治批判」を世の中の共通認識として「まともな政治家」が生まれる土壌を養うことだと考える。
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2020.06.27 23:07
2020.06.19 11:36