社説 ▲ファン?プレイヤー?▼
JR清水駅。土曜日。19:34。浜松行きの電車と熱海行きの電車、真逆に進む二つの電車が、丁度同じ時刻に、それぞれの道に向かって走りはじめた。電車の進む方向は真逆だったが、志は同じ方向を向いていると確信している。
「私、静岡がんセンターで働きたいって強く思って、引っ越してきたんです。」真直な視線、澄んだ瞳、強い意志。“凛とした”という形容がそのまま当てはまる、そんな人と出会った。
その人は一ヶ月半前に、山口から静岡の三島に引っ越したのだという。てっきり親戚の方がいると思った。そうではないという。では何故引っ越したのかと聞くと、先の話を聞くことができた。たまたまではない、強い意志を持って見知らぬ土地にやってきたのだ、その人は。
人は、人生を変える情報に出会うことがある。“出会いは人を変えることがある”というが、その人の場合「静岡がんセンター」との出会いだった。引っ越すほどだ。とても惹かれる出会いだったのだと想像する。
人は惹かれるものと出会った時、二つの立場を取る。ファンになるか、プレイヤーになるか。例えば大好きな歌手と出会った場合、多くの人はCDを購入したり、コンサートに足を運んだりする。ファンクラブに入る人もいるだろう。こういう人は、ファンである。しかし、ごく限られた人は、その歌手のマネージャーあるいは弟子入りを志願する人がいる。惹かれる対象と、ともに働くことを志し、叶える人。こういう人はプレイヤーである。
清水で出会ったその人は、間違いなくファンではなくプレイヤーだった。その視線は真直で、瞳は澄んでいて、生き様は凛としていた。人を惹きつける魅力に溢れた人だった。見知らぬ土地に飛び込んできて、夢叶えた人。きっと、想像できないほどの苦を経験してきただろう。人を魅了する人は、美しい。苦を苦と言わず、苦を飲み込んで〈今〉を懸命に生きている。
今自分はファンだろうか?プレイヤーだろうか?答えは自分で決めることではない。人は人を見た時、その人の生き様を感じられるからだ。みずから人生を変え、人にも影響を与えるプレイヤーとしての生き方。そんな、主体的な自分でありたいものである。
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