社説 ▲庶民たれ!▼

 執筆活動、TV出演、講演活動、ゴー宣道場、さらには週に一度の会員制メルマガ配信。超多忙なスケジュールにあっても、この人は本当に多くの書物を読んでいることに驚かされる。御年64歳。今、小林よしのり著『新・堕落論』を読んでいる。本書では様々な書物を引用しながら氏の主張を繰り広げているのだが、第10章“オルテガの『大衆の反逆』”では、オルテガの著書を引用して読者に問題提起をしている。同じく本社説でもオルテガを引用したい。以下は大衆についての引用である。「自らを評価しようとせず、皆と同じだと感ずることに安心する人々」であり、「彼らは自分と違う考えの人を排除する。大衆は自由で自立した思考をしようとする物を嘲り、こき下ろし、引きずりおろす」引用ここまで。以下は小林よしのり氏の意見として書いてある箇所だが、大衆と庶民について書かれているところを引用する。「大衆と庶民は違う。庶民は生活をする現場を持っている人であり、現場からの生活実感を手離さない。大衆はマスコミやネットの情報に惑わされて、マス(mass)=集団になる人々のことだ。」引用以上。
 どうだろうか。もし我々が自分たちの生活実感を離れ大衆と化するならば、自分の存在意義とは一体何であろうか。ジョージ・オーウェルの小説『一九八四年』。そこでは庶民は存在せず大衆のみが存在する。1+1が3である社会。あれは小説だ。そんな馬鹿なことは現実には起きない。そう言うのならば、今自分は生活実感を手離していないか否か考えるがよい。「仕事」。それは、生活実感。 
 「後世への手紙」3月の連載記事のお題は「仕事」。1ヶ月の間、共通のテーマについて記事を募集している。読者の生活実感を知りたい。「仕事」について考えてみよう。そして是非とも記事を送ってほしい。詳細は「後世への手紙」はじめに、に。
 

新しい一ヶ月の始まりだ。読んで、書いてみよう。諸君、記者になりたまえ。「我々は本当の意味で集うため、個であらねばならない。屹立する個によって眼差しは開かれる。」「後世への手紙」はじめに より。

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