山田航平「魅力的な人とは?」

魅力的な人
この言葉を見て感じるものは花です。

この世界にはいろんな花があります。
毒をもつ花、美しいが棘をもつ花、見た目が可愛い花、いい薫りがする花、千差万別いろんな人がいるのと同じように。
皆全てただ生きています。
私は、人は花のように一生その姿ではいないと信じてます。そいったことは都合が良いと感じる方がいるかもしれませんが、私は私の人生を振り返りそうであるという明確な確信があります。

人は環境で育ち、土壌が悪ければ折角「魅力的な花」に育つはずが枯れてしまうかもしれません、これはどこで生まれ落ち、どんな環境で育ったかで全く違う人生を送ることになります。

もし環境が悪く、土壌も悪いところに生まれた
のが運がなかったからの一言で片付けていいのでしょうか?
その環境に身を投じたものにしかわからなく
嘆き、苦しみ、狂いそうになりながら生きているかもしれません。
しかし、花粉を運ぶ虫がいるように
運命は運ばれてくるものです。
全ては出会いです。しかしながら、その出会い全てのことに「色」をつけるのは自分であり他者であります。その内を苛み、憤り、誰かを貶めない方法は
全て起こったこと、これから起こることを受け止めるしか道がありません。
せっかく、いい花が育つのに自分の意思で枯らしてしまえば生命の無駄使いなのでしょう。

その点で「魅力的な人」とは
どんな花で、どんな薫りがするものなのでしょう?
私は、あまり主張もせず、薫りも強烈ではなく
見ただけで虜になる花と今は感じております。

「魅力的な人」を花で例えさせていただきました。
ある偉人パスカルは未完作品「パンセ」の中で
人間を考える葦であると(よく川生えている」植物に例えていらっしゃいます。

引用させて頂きます。
人間は一本の弱い葦に過ぎない、だが、人間は考える葦である。人間を殺すのに一つの蒸気一滴の水でも人間を殺すのには十分である。
しかし、人間を殺す宇宙よりも、人間を押し潰す宇宙よりも、人間の方が高貴である。なぜなら、人間は自分が死ぬことを知っており、宇宙が人間よりも遥かに強力であることを知っているからである、宇宙はそのことを何も知らない。
人間の尊厳は思考の中にある。そのため、人間は思考の尊厳から立ち上がるべきであり、自分たちが満たし得ない空間や持続からではない。
だからこそ、考えることに努めようそこに道徳の原理がある。

人間は弱い一本の植物でしかありませんが、考えるという能力が備わっています。
そのことが、苦悩を呼び起こし、苦楽を味わい
不浄なこの世から逃げ出したいと考えてしまうかもしれません。
しかし、その思索という人間にしかない能力で
人間は「魅力的な人」になると感じるのです。

僕も日々思考の尊厳から立ち上がって
「魅力的な人」へ無意識に近づけていきたいです!

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