社説 ▲11月1日、本の日、沈黙を愛せよ。▼】
月に一度、連載記事のテーマを変えて投稿を募集している。
2018年11月の募集テーマは以下の通りである。
今月の連載記事の募集テーマ。
「みんなで紡ぐ記事に参加しましょう。
11月は実生活にスポットを当て、お仕事や普段の生活についてお話を聞かせてください。現実との接点、遠い世界ではないあなたの真実。」
この『逆もの講新聞〈後世への手紙〉』サイトは、
参加型のサイトとして運営していきたいと常々思っている。
読書とは<読む>と<書く>と描く。
ぜひとも<書く>の実践の場として、当サイトを利用してほしい。
「お仕事や普段の生活についてお話を聞かせてください。
現実との接点、遠い世界ではないあなたの真実。」
投稿フォームから記事は投稿できるようになっている。
さて、連載記事の募集テーマの中の、
遠い世界ではないあなたの真実、
というフレーズに勇気をもらい、久しぶりに社説を書こう。
いや書きたい、と思った。
本についてである。
わたしの真実、それは、長い沈黙であった。
社説を任されるのは一つの光栄であり、しかし同時に、重圧になることを知った。
私が社説を書かなかったこの数ヶ月で生み出したものは、沈黙であった。
沈黙は一般的には良くないものととして捉えられがちである。
率直に言うと、沈黙の時、人は何もしていないものとして捉えられる。
しかし人は黙する時、何もしていないわけではない。
それどころか黙しているからこそ、物凄い早さで考えを巡らせている。
そしてそれ(沈黙)は、自分との対話(内的思考)の時間を豊かにする。
私は社説を書かなかった沈黙の期間、実に様々なことを考えた。
黙している時間は実に豊かな時間であった。
とてもたくさんの事を自分と対話した時間であった。
ただし社説を書かなかったことで、サイトの読者と何も対話が出来なかったことは反省している。
ところで、あなたは自分との対話の時間を持つことがあるだろうか。
仕事や家庭のことなどで日々頑張ることを強いられる私たちは、
自分との対話の時間を持つことがなかなか出来ない。
慌ただしい毎日の生活の最中、知らずに溜まっていくストレスは、
自分との対話の時間を持たなければ、増える一方である。
そもそも自分との対話の時間を持たなければ、ストレスを自分が持っていることにすら気付けない。
毎日を生きるのは、こんなに沢山のストレスを抱えるためだろうか?
こういう時に大事なのは、そもそも論であり、
自分との対話の時間を持つことである。
少数の人たちは、自分との対話の時間を持つことが得意である。
その少数というのは、読書する人のことである。
読書というのは、知識を身につけるためではない。
本を読みながら、自分との対話を何度も何度も繰り返す機会を得ているのである。
活字はまさに活きた字として、自分の内側からの思考を呼び覚ます。
自分との対話が得意になっていくプロセスは、読む本の変化となって現れてくる。
最近自分が読む本のジャンルや種類が変わってきたと気付いたならば、
それは自分自身の変化の表れなのである。
そしてそれは、自分自身との対話が進んでいる証である。
反対に、いつも同じような本を読んでいることに気付いたならば、
それは自分自身何も変わらないことの表れなのである。
これも、自分自身との対話が進んでいる証である。
いずれにせよ本を読む人は、自分と対話する豊かな時間を持っている人である。
今すぐにでも、スマホで動画を見たりゲームをしたりする時間を、
読書する時間に変えるべきである。
先日見たテレビで、AI解析の結果健康長寿の秘訣の一つに、読書があると紹介があった。
驚いて見た内容であったが、今考えると、読書で自分との対話の時間を持つことで、
現代人が避けて通れないストレスへの対処が、知らずに出来ているのだと感じる。
健康長寿のために読書してみますか?
それでも、本を読んでいる人が発する沈黙のオーラは、尊い。
沈黙を作り出そう。読書して。
11月1日は、本の日だそうですよ。
私がそこで受け止めたメッセージ。
それは、
沈黙を愛せよ。
もう一度今月の連載記事の募集テーマ。
「みんなで紡ぐ記事に参加しましょう。
11月は実生活にスポットを当て、お仕事や普段の生活について
お話を聞かせてください。現実との接点、遠い世界ではないあなたの真実。」
わたしの真実、それは社説を書かなかった、長い沈黙だった。
以上久しぶりの社説を、長期間社説を書かなかったことに対する懺悔としたい。
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