「○○を引っ張る」TN




大正時代に大ベストセラーになったと言われる【人間百種百人百癖】
この本が実に面白い。時代ゆえなのか、表現に自由さが感じられる。下記に一部ご紹介しちゃおう。

『世には人の睾丸に糸をつけて置いて時々引っ張る人がある。恐らくこれほど陋劣な人間はあるまい。人の睾丸に糸をつけて引っ張るというのは、他人の秘密の急所を押さえて置いて、ちょうど向こうの睾丸に糸をつけて置いて、どうだいどうだいと引っ張るような塩梅式に、痛くば出せと口止め金を時々ゆすりに出かける人間をいうのである。

芝居などで見ると、こういう人間のやり方はたいてい筋がきまっている。物陰に隠れていて人の話を立ち聞きし、すぐに向こうの睾丸に糸をつける。つけられた方ではたまらない。
「さては今のを・・・・・・」
びっくりすればニッタリ笑い、
「聞いたでもなし、また聞かぬでもなし、魚心あれば水心・・・・・・」
地獄の沙汰も金次第と来られてはやむを得ぬ。いくらか紙に包んでやると開けて見て、少ない時はほうりつけ、
「人を馬鹿にしやがるない。これっぱかしの目腐れ銭で黙っておれとはひどい了見、どうしてくれるか見ていていやがれ」

散々凄い文句をならべて、向こうの痛い急所を押さえ、ゆすれるだけゆすって取り、これくらいな口止め料では安いものだなどと恩にきせながらヌクヌク己のふところに入れて行く。

こういう事は芝居よりほかにないかと思うとそうでもない。今日現在政界にも実業界にも、または個人間にも往々行われる事実だそうである。しかしそのやり方は芝居とは違う。人の睾丸に糸をつけて引っ張るような奴は、相手は政治家であれ官吏であれまたは個人であれ、巧みに向こうの手先になって密事にたずさわって運転し、その間にしっかりと相手の睾丸に糸を結びつけて置き、事の成就した暁には、どうだいどうだいとこちらから引っ張る。

引っ張る方は楽だが、引っ張られる方は痛い。初めは知らん顔をしていても、あまり強く引っ張られると一命にも関係しそうになって来るのでやり切れん。事件の大小によって、それ相当の引っ張り賃を出すと、一時は糸を緩めるが、食うに困って来るとまた引っ張る。中略

もちろんおのれの睾丸に糸をつけられるような人間はよろしくないが、それをゆする事を商売にして飯を食う人間に至っては、さらにいっそう劣等である。都会にはこんな事を商売にして飯を食っている者が無数にいる。今日では地方にもぜんぜん無いとは言われまい。人の睾丸に糸をつけて引くような奴は、他の方面においても悪事にかけては実に八宗兼学である。こんな人間を見たならば断じて油断をしてはならぬ。』

見事な表現ではないだろうか。小林よしのりさんが、書いた原稿を出版社さんの方でボツにされたとブログに書かれていた。表現の自由というが本当にいま日本はそうなっているのだろうか。
逆に文春砲だとか騒れているような、睾丸を引っ張る表現は許されているのも納得がいかない。もっと納得がいかんのは、それに乗じて、当事者でもないのに騒ぐ輩である。
気分が悪くなるようなことには、自ら近づかない。
この心掛けが実に重要な時代になってきた。
みんな!縦糸の読書から離れてはならない。さもなくば、睾丸を引っ張る側に陥ってしまうぜ。



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