「サシハラを終えて。これまでのこと、これからのこと」風岡

「サシハラ」始めます。

サシ、つまり1対1で肚を割って話す。大勢で話をすることが苦手な私にとってこの企画は私のために作られたのではないかと思いました。サシハラに申し込み、当日までとても楽しみにしていました。

実際のサシハラは私にとって刺激的な時間ではなく、自分と向き合い、自分を深める時間でした。そしてその時間は今も続いています。

サシハラ参加の動機は日常生活における苦しみ、怒りをどのように対処すればよいかを考えるためでした。佐古田さんと対話をする中で私は感情を抑制する傾向にあり、また自分で判断しないとの気づきを得ました。抑制しながら自分ではない自分を生きている。これが苦しみ、怒りの原因であり、そしてその原因は子供のころの私と家族との関係にあると言われました。今回のサシハラの中で最も印象に残っているのは「父親はどんな人か?」、「母親はどんな人か?」と、問いを下さり、うまく言葉にすることができなかった際、その原因として心が交流するような出来事がなかったからではないか、と指摘を受けたことです。家庭が、心の交流を経験できる安心した場所ではなかった。このことが今の私の土台となっている。これをうけてサシハラ後、1つのことが思い浮かびました。私は人との間に壁を作っていることが多く、人づきあいが苦手です。安心できる環境で生きてきていないので自己の表現の仕方がわからず自然と壁を作り自己を防衛するようになっていたのだと思いました。

以前、ある人から表情がなく話をすると言われたことがあります。ヒトの心の奥底のぼんやりとした気持ちを情とするなら、その情を感じとったものを感情といい、情が表に表れたものが表情ということになるとか思います。今回の話を聞いて私は感情を抑制しすぎて知らず知らずのうちに表情がなくなってしまっていたと感じました。

感情を取り戻すため、自ら決断、行動するためにはそもそも安心できる場所が必要である、というのが今回の動機に対する自分なりの回答です。しかしまだまだ問いは続きます。今の私には逆もの、肚読という「読書のすすめ」を中心とした仲間の存在の意味も改めて考える機会となりました。

サシハラでの時間では思考が深まらなかった部分も今こうして文章を書きながら思い返すことで多くの新たな気付きが生まれてきています。小川さんが言われていた「読む」と「書く」、インプットとアウトプットをすることでより思考は深まるとの意味が実感できております。このような機会を与えて下さった佐古田さんに改めて二重の感謝をいたします。ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

0コメント

  • 1000 / 1000