「風岡さんと。サシハラと。」佐古田

風岡さんへ

ご感想拝読いたしました。
土曜日のbarで風岡さんとサシ向かい、烏龍茶を飲みつつアヒージョをつまみましたね。
お話しした会話が何かの「兆し」になればこんなに嬉しいことはありません。

名古屋の常連メンバーの一人、風岡さん。
『生きた仏教』を読みやすい!と言明され、あっという間に読了する力に、自らの問題に正面から向き合われているんだな、読書に誠実に向き合われているんだなと、頭が下がる想いでお話しを聞いていました。

お仕事である治療家として道を歩まれる経緯や背景をお聞きすれば、真摯な姿勢や動機もなるほどなあと頷いたことを今思い出しています。

サシハラの中、二人でお話しした、生きた仏教の中心的言葉でもある、『諸法無我・諸行無常』についてこんなことを考えていました。

我々は赤い川に住む魚。

生まれた時からずっとこの川に住んでいる。

赤い川と言うけれど、他の川に住んだことがないからこの川の赤さにはホントは気付いていないかもしれない。

慣れ親しんだ赤い川。

これが普通とは思っていたけど、なぜか息苦しい。

この苦しさの原因を尋ね、彷徨ってみるとその原因は実は自分だった。

自分は赤い川の魚ではなく、海の魚だった。

小さい頃からそばにいた僕の両親も海の魚だった。

そのまた両親も海の魚だった。

よく目を凝らしてみると赤い川に住むみんな海の魚だった。

その苦しみに気づき、慣れ親しんだ赤い川から、たった一人でも大海に出る覚悟をした時から、本当の生命が始まる。


夜が更けて、最後、逆ものの話になった。
安心できる場所。そして鍛え合う場所。そんな名古屋逆もの講が好きだと風岡さんと語り、帰路につきました。

帰りの車中、なぜこのサシハラをするのかと自問自答すると、本や日本語、著者様との魂の対話から『一人庶民革命』を実感した一人だから。
そして、産み出さなきゃだめだ!と背中を押してくださり誕生した「サシハラ」が、語り合う皆さんとの間に何かが生まれるきっかけの場になる、と確信しているから。 

今、風岡さんへこの手紙を書きつつ、私のなかでもゆっくり何かが深まっていくようです。
風岡さんありがとうございました。またお話を聞かせてくださいね。

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